正統派と異端児。

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このところ記事間に差し込めこめるような写真に苦戦中(笑)来月には素敵な写真が出来上がるはずなので!それまで我慢!!!

今感じてることをそのまま書いてみるので
かなり選ぶワードや綴り方に独断と偏見があると思うのですが
そのまま出してみますね。
(いつもかw)

WEBデザインでもカメラマンでも
アクセサリー作家さんでも
なんでもいいのだけれど、

専門分野に関して
学校で学んだ人は
私にとっては正統派。

学校には行っていなくて
独学で身につけた人は異端児。(私にとっては。)
「異端児」って他にぴったりくる言葉が分からないのでこれで

人ってときに
「自分が属しているもの」の価値を示したくて。
正しいと思いたくて。

自分が属していてそれで成功していると
それ以外のものを下にみるというか

自分が属しているものの素敵さを示すために
それ以外のものを持ってきて
比較対象に使う。

私はWEBデザインや紙もののデザインを
学校で学んだわけではなく、
実際に働きながら身につけてきたので
異端児だなぁって自分で思っているのですが

正統派に憧れることがあるのです。

どこか負い目を感じることが
やっぱり今でもあるのです。
とは逆に
独学で身につけたことに関して、自分を尊敬してる部分も持ってる。

私はデザイナーになると思って
活動を始めたわけではあまりなく、

相手 「こんなものって作れる?」
私 「ん?それならできるよ」

ってやって来たら
販促物をつくっている今の状態ができあがって

分かりやすいから
「デザイナー」って呼ばれているだけの状態(だと思っているw)なので

自分から「デザイナー」っていうのに慣れてないことが未だにある(・-・*)

正統派が好きな人に会うと
その負い目をくすぐられます。くすぐられるって(笑)変か(笑)傷を突かれるも違うしな(笑)

私が今趣味で足を突っ込んでる音楽に関しても
・音楽学校にいって学んだか
・もともとそのセンスや感覚が突出している天才肌で、理論などを学んだわけではない
などなど。

私が負い目に感じるのは、
「偽物に思われるのが嫌」なんだからだと思う。

だから、私は
プロだと言われると
なんだかくすぐったくなって(またでたくすぐったいw)

デザイナーだと言われると
くすぐったくなる

という部分があるのです。

だから、「販促物つくる人」って言って濁してる部分があるんじゃないのかな。

学校に行っていても話を聞いてなければ知識として吸収できないし
独学でもいくらでも知識は吸収できるし

結局は大枠の話じゃないのだけれど

正統派が好きな人がいると
私のセンサーはくすぐられる。(またでたっw)
なんかあるのだなぁ、ここに私の劣等感

私、
レイアウトであれば黄金比率とか
色の配色をする際にも、ある法則があったりするんだけれど

最初は
それをもとにやろうやろうとしていたけれど、

今は
それを元にして自己流の感覚で変化させて使っていたりします。

知識は大切だと思うし
知らないと表現に制限がかかることもあるので、
私も今でも学びの最中だし
知らないことや勘違いしているものも
まだまだたくさん。

でもテクニックにはまってしまうときって
うまくいかないことも多くて。

なぜか「他の何かになろうとしている」感覚。

それはお客様の反応で
答え合わせできます。

あ。違った。私これ、自分の中からというより、「今の自分じゃだめだ、テクニック入れなくちゃ。」になってたな

って気がついて

改めて
自分の感覚を大切にして
知識やテクニックは置いておいて

自分が楽しんで作ること
自分の感覚に素直になって配置する色を決める

に戻ると
簡単に「OK!!!」がもらえたりして
あぁ、やっぱりそうゆうことかって。

私に頼んでくださる方は
テクニックを優先に求めているのではなく
私というフィルタをとおした
その方自身だったりサービスだったり、
私の表現を求めてくれているんだなって。

そういう意味では

型をしったうえで
型を破る。
「守離破」って話にもなるんだけど。

だから知識も大切だけど、最後には自分の感覚が重要エッセンス。

正統派=知識
異端児=自分の感覚

みたいな独断と偏見の
主なイメージもあるのですが(もちろんどっちにもどっちもあるんだけれど、私が感じる「主」な)

どっちも大切。

だから
自分が属しているもの以外を
比較対象として持ってきて

自分を輝かせてみせるために
他をさげすむみたいなことは好きじゃない。
(気づかず自分もやっちゃってたりするのかもしれないけれど)

たまーにごくたまーに
そうゆう場面をみかけて
モヤモヤする。

歌でもね
歌い方の
テクニックって
細かくいっぱいあって
教えてもらうのだけど、

「気持ちなんか一切込めていなくて、
うまく聞こえるテクニックがあってここはこうやって・・・」
という話も教わるのだけど

最初それを聞いて
ちょっとだけショックだった(・-・*)

「気持ちこめる」とか関係ないんだって(笑)
感覚とか想いとか
大切にしている自分だから、なんかそこじゃないの?って思うとショックはあったけれど

でも
それに対して反発心みたいなのはなくて
それも取り入れたうえで
私は「気持ちもこめてやる」と思った(・-・*)w

そしたら最強だなって。
むしろ
それができたら飛び抜けるんだろうな。

知識は
反復させて体に覚え込ませ、意識しなくても使えるようになったうえで、
自分の気持ちも込めてある、ができたら最強だな。

って話が若干ずれていますが

両方を大切にしたいなって。

自分が進んできた道も尊重したいし
自分が進んできていない道を歩いて来た人も尊重したい。

そして
もうひとつ。

どんなパターンだったとしても

言葉にとらわれず
今の状態を感じて
自信をもって自分を進んでいきたいなと
自分へのメッセージ。

デザイナーだね、プロだねって言われると、くすぐったくなるけれど、
実際、作り出したものに関して喜んでもらえていたり
何かに繋がっていっているのであれば

デザイナーだろうが
プロだろうが関係なく

私として
私の表現が
役に立っていて
活用できるものなんだ
って。

肩書きに惹かれる
華やかな環境に惹かれる

肩書きで引きつけようとする
華やかさをアピールして引きつけようとする

じゃなく

もっともっと中身を
本質をみたいって。
それは人に対しても、自分に対しても。

そして
おそらく今の時代に大切な視点だし、
これからますますそうなってくる。

一人の人がいろんな職業、役割を持っていたり、
自分の感覚でサービスを提供したり、

誰でも簡単に表現できる場所が増えて
多種多様になってるからこそ

頭も心も柔らかくして
人をさげすむことなく
どのアプローチからの人も自然に尊重とか尊敬ができるといいなぁ
って思っています。

そう、いろんなことがあったんだ(笑)最近(・-・*)

肩書きとか
海外がどうとか
TV出演がどうとか
言ってる人とかで
別になにも気にならない人もいるのだけれど、

なんか気持ち悪いなってこのアピールってなる人がたまにいて。
うげってなる・・・
と、同時に
華麗なその言葉に囚われて「わー!」ってなるのじゃなくて

自分が本当にそれをすごいと感じるのかとか
それを素敵だと感じてるがゆえの「わー!」なのか
見極められる自分でいたいとも思った。

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